「お疲れ様でした! ゆっくり休んでくださいね!」
とある日の夜。ちょっと遅めな時間。
自宅まで送り届けた相手が、お休みと手を振りながら中に消えていくのを確認し、ふ、と息をつく。
さて、送り届けるのはあと一人。
有り難いことに、気が付けば毎年の恒例になりつつあるジューンブライドシーズンを見込んだ結婚式場のCMモデルの依頼を今年も頂くことができた。今年白羽の矢が立ったのはJupiterとDRAMATIC STARS。六人がそれぞれオーディションで選ばれた女性モデルと結婚式を模した撮影を行うという趣向で、当日はいろいろあったものの、無事に撮影を終えることができた。
今回の撮影は、郊外にある、閑静なロケーションに立つリゾート的な要素も持っている会場だったので、会場への送迎はこちら側で引き受けることとなった。朝、事務所に出向き会社のガレージから社用車を出し、アイドルたちを自宅まで迎えに行き現地に向かい、終了後現地から戻り、それぞれの自宅へ送り届け、車を戻し、自宅へ帰る。
それなりに気も遣う仕事ではあるが、彼らが無事に楽しく仕事を進めてくれるならそれに越したことはない。
気合入れていきましょう。家に帰るまでが遠足です。
助手席にいる最後の一人にお待たせしました、と声を掛け、ウインカーを出し、後方確認後ゆっくりと車を出す。思っていたよりスムーズに流れに乗れて少し嬉しくなった。
「お疲れ様です、プロデューサー。もうちょっとよろしくお願いします」
助手席に座る最後の一人――柏木翼から労いの言葉と共に、紙コップに注がれたお茶が差し出された。移動中にみんなに飲んでもらおうとあれこれ買ってクーラーボックスやポットに入れておいたものだ。
「お気遣いありがとうございます、最後になってしまってすみません、翼さん」
ノールックでコップを受け取りながらお礼とお詫びを告げ、それをそのままこくりと一口喉へ送る。人心地つけたので残りはひとまずドリンクホルダーへ。
「いいえ、オレなら大丈夫です。プロデューサーこそ、長い時間運転してもらってすみません」
申し訳なさそうに言われ、いえいえ、と被りを振った。
「大丈夫ですよー。運転は元々嫌いじゃないですし、撮影中はわたしは見ているだけでしたから、それほど疲れてもないですよー……とは言っても家に帰ったらちょっと手足のびのびさせてもらいますけど」
「あの、今からでも運転変わりましょうか?」
「いえいえ大丈夫ですよ!」
担当アイドルに気を遣わせてしまった、その少しの罪悪感から、つい声のトーンが上がってしまった。ちょっと声を落として。
「翼さんはおうちまでのーんびりしていてください。何だったら寝ていてもらってもいいですよ、起こしますから」
「いいえ、寝ません! オレは起きてプロデューサーとおしゃべりします!」
ぶは。
お互いの気遣い合戦になっていることに気付いて思わず噴き出した。隣の彼も笑いだした。
「……了解です。それじゃあ最後までよろしくお願いします」
「はい! もちろんです! よろしくお願いします!」
「あの、今日の撮影、ちゃんと出来てましたか?」
今日の仕事について、翼から感想を求められた。
「はい、今日の翼さん、いつにも増してかっこよかったですよ! 頑張ってイメトレされた甲斐がありましたね!」
思い返して感想を伝える。撮影開始前に女性と一対一になるのが苦手だと告げられたときは、どうなるかとやや不安に思いもしたが、当人の思い描いたイメージを演じることで無事終わらせることができ、安堵したのを思い出す。
「ありがとうございます、本当に無事終わらせることが出来てよかったです」
「そうですねー。うん、本当に本当にかっこよかったです。翼さんタキシード本当に似合われてたし、セリフも凄く素敵だったし。オンエア、楽しみですね」
「ありがとうございます……オレはまあ置いておいて、輝さんや薫さん、Jupiterのみんな、すっごくよかったので、それをたくさん見たいです!」
「いやいや、大丈夫ですよ、翼さんかっこよかったです。わたしが保証します」
「でも、あれは『こうすればいいと思って演じた』オレ、なので……本当はこうじゃないんじゃないかな、って思ったりも、してます」
少し、彼の瞳に影が差す。
苦手意識のある仕事の前に最良のイメージを描き、現場に挑むのは何ら悪いことではないし、むしろそうした方がスムーズにできる。十二分に彼は仕事に取り組み、無事終わらせることが出来たと、彼女は思った。
「演技のお仕事ってそういうものだと思います。自分のイメージで役を作り込んで、現場に持ち込み、そこから周りの意見を聞いて、調整をして、作り直しをしたりもしながら完成へ持って行く。繰り返しで恐縮ですが、大丈夫です。翼さんはちゃあんと、仕事されてましたよ。安心してください」
「はい、ありがとうございます」
前方に目線は集中しているので表情を見ることはできないが、ほ、と安堵の息を吐いたことは伺えた。彼の気がかりを取り除けたら何よりだ。こちらも安心できる。
「でも」
翼が続ける。
「……でも?」
反復してしまう。
「本当に、結婚式を挙げるときは、ちゃんと『本当の自分』でなきゃなあ、って思ってます」
例のやわらかい口調で、ゆったりと語られる。でも、それは、つまり。
「え、まさか」
息をのむ。
「まさかって……?」
「結婚式を挙げたい人が、いるってこと、では」
思わず、言ってしまった。
だって、本当のそれを想定してるって、それって。
ぐるぐると、思考が巡る。もしそうだったら、発表はどうしよう。ない話ではない。やや早い気もするが、そんな話が聞こえてもおかしくはない年齢だ。でもまだデビューしてさほど経ってないアイドルだ。やっとイメージが固まってきたころって気がしているし、メンバー間のやりとりもスムーズにできるようになってきた。彼らはまだまだ伸びるしどんどんいけるユニットだと思っている。正直、いろいろなことに影響がないとは言い切れない。でも、それを止める筋合いは自分にないけどでもあのでも。
じわり、と手のひらの裏に汗が滲んできた気がする。どうしよう。
「違います違います、そんな予定ぜんっぜんないです! 今のオレにそんな余裕あるわけないって、プロデューサーが一番よく分かってるじゃないですか!」
「わ、分かってるつもりではいますが! みなさんのスケジュール組んでるのわたしですし! でも、オフの時までは分かんないから、つい! あの!」
汗を乾かすべく、左手をハンドルから離してぶんぶんと振る。乾いてない気もしているがもういいやと持て余してシフトレバーに置く。
「本当に、ないです。大丈夫です、落ち着いて」
とん、と置いている左手の甲の上に彼の指が乗り、そのまま手を重ねられた。体温が直に伝わって心臓が跳ねた。
これは、どうしよう。
逡巡しかけたその時、前方に駐車場のあるコンビニエンスストアが目に留まった。これ幸いとアクセルを緩め、ウインカーを出して、店の駐車場へ車を停めた。ふう、と息を吐く。
「落ち着かれました?」
「あの、つばさ、さん」
彼の手の平は自分の手の甲の上。これで落ち着けと言われても、正直、無理だ。
毎日男性アイドルと共に日々を過ごしているとはいえ、自分自身もそれほど男性との一対一でのやり取りに慣れているわけでもない。
「はい」
「……手が、その」
絞り出すように口にする。手が重なっていて、触れている体温に、物凄く動揺していると伝えたいところだが、そのまま言えず、語尾がごにょごにょしてしまう。
「……手? あ、あああ! すみません! つい!」
彼も事態に気付いたようで、ぱっと手を離した。
「いいいいえ、大丈夫です! 気になさらずに!」
「いや、あの、すみません本当に! あの、オレ」
お互いが挙動不審に陥る。いかん。これでは数分前の押し問答再びだ。
「気にしないでくださいってば! ああああの、折角なので飲み物とか買ってきます! ちょっと中で待っててくださいね!!」
慌てて財布を持って降り、店内に飛び込み、ペットボトルのドリンクを何本かと、運転しながらでも口にできそうな菓子を買いこんだ。会計を済ませたとき、財布を持った左手の甲にふと指が触れる。
さっき、ここに。
思い返してまた、心臓の動きが大きくなりそうな感覚がする。
すう、はあ。すう、はあ。
大きく深呼吸をして、自分用に購入したストレートティのボトルを袋から出して頬に当てる。冷蔵庫から出したばかりのその冷たさが自分の落ち着きを呼んでくれる気がしてきた。
「……お待たせ、しました。もう大丈夫です、すみませんでした」
「いえ、オレの方こそ」
またしても、になりそうな気配を読んで、ストップ、と手の平を彼の前にかざした。
「もう今日は、『すみません』なしにしたいです」
「確かに、さっきから何度も言ってる気がしてます」
うんうん、と頷きあい、ようやく、互いの空気が日ごろのそれに近くなった気がしてきた。
「ですよね。あ、飲み物、緑茶でよかったですか? 紅茶と、あと炭酸も買っちゃったんですが」
「ありがとうございます、緑茶頂きます。炭酸も持て余すようならオレ飲んじゃいますけど」
「持って帰って家で飲めばいいかなって思って余分に買ったんですが、もしご入用なら遠慮なくどうぞ、あとお菓子も買ったので、よかったら」
「はい、ちょっと小腹が空いたかなって思ったんで丁度いいです」
普段通りに近いやり取りを交わし、車は再び走り出した。
「……プロデューサー。ひとつ、聞いてもらえますか?」
翼が話し出す。
「はい。何でしょう?」
「オレ、今日、大丈夫って言ってもらえて、安心して、嬉しかったです……でも、少しだけ、さみしい、というか、そうじゃないかも、って気持ちもあったりしてます」
「……それって?」
「オレ自身でもまだ分かんなくって。何だろうって考えていたんです」
正面を見ていた彼が、す、と視線を運転中の彼女に移す。
「けど、さっき、ちょっと、そのはしっこを掴んだ気がしているんです。もし、その気持ちに答えが出たら。プロデューサーに、お話ししてもいいですか?」
彼は、いつも、真っ直ぐだ。
きっと、彼なりに考えて答えを出すだろう。
なら。
「了解です。お待ちしてますね」
自分に出せる答えはこれだけだろう。そのまま伝えた。ふふ、と彼の笑いが聞こえた。
「仕事の話じゃないかも、しれないですよ?」
じゃあ何だというのか。
そう尋ねようとしたころに、目的地であった彼の自宅に到着してしまった。エントランス近くに車を寄せ、ハザードランプを点灯させ停車させた。
「おやすみなさい、プロデューサー。今日はお疲れ様でした! 気を付けて帰ってください!」
ひらりと手を振って、見送られながら、車を発進させた。
先ほど触れた体温と、降りる間際の彼のことばの意味を考えると、また思考がぐるぐると渦巻きそうな気がしてきたが、そこで考えるのを一旦止めた。
彼の『答え』は、何だろう。
それが分かったら、その時また、考えることにしよう。
『ゆびさきから、はじまる(かもしれない)』
2018年に寄稿したアンソロジー向けのテキストです。日頃のうちの本とは違えてカップリングを割と意識して書いたつもり、なので日頃のうちの本の彼らとは気持ちとしては別の人たちのおはなしです。
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