ふたつのかげ、ひとつに。

 きぃん、と冷えた空気が辺りを包む。
 この空気が嫌いじゃない、と深雪は思う。
 確かに痛いくらいに寒いし、それは好きとは言い難いのだけれども。でもこのモノトーンの風景とそこに流れている凛とした空気が好ましいと思う時もある、
 うん。割と好きなのかもしれない。と思いなおした。

 そんなことを考えていたら、連れ立って学校から帰っていた秋山との距離が少し離れてしまっていたのに気付き、追いつくべく早歩きで歩を進める。大柄な彼と、極々人並みの体格である自分とではどうやっても歩幅が違うので時折こうやって微調整が必要となることがある。
 でも、それも嫌いじゃない。
 クラスメイトたちには、それってあり得ない、というリアクションが揃って帰ってくるだろうなと思うのだが、それでも、今こうしているのは嫌いじゃない。むしろ好きなのだと思う。
 ととと、と早歩きが小走りになりかけた。そのとき。

 どん。

 突然立ち止った彼の背中にぶつかってしまった。
「秋山くん? どうかした?」
「…信号、赤だったから」
 ずっと目の前の彼の背中を追っていたため、周りの変化に気付かなかった。
「あ、本当だ、ごめんね」
 そう言って少し後ずさる。ぶつかったのは申し訳なかったが、おかげで彼に追いついた。プラスマイナスゼロといったところか。そんなことを頭の中でざっと計算していたのだが、

「……すまない」
 突然、謝られてしまった。だが、心当たりが全くないので、
「何が? 何に?」
と返してしまう。何に対してすまないと思っているのか、どうしてそう思っているのか。分からないので疑問形になってしまう。

「今、俺……また間、開いてたんだろう? だから」
「気にしなくても、いいのに」
 秋山が「だけど」、と言いかけたが、
「いいの」
と重ねて口にした深雪にそれ以上返すことが出来ず、押し黙る。

 少しここの信号は大きな道に面しており、加えて幾つも道が交差する都合上、待ち時間が長い。その長い時間、お互いに何も話さない……かと思った。が。

「支倉」
 秋山がふいに口を開いた。

「? どうかした?」
「いや……お前、今こうしているのが俺でいいのか、って、思って」
「……は?」

 突然降られた疑問に返す言葉がない。
 どういう、意味だ。
 恐らく、今の自分の顔は『?』が前面に貼りついているような表情じゃないのだろうか、と深雪は思う。
「いや、だから。俺は他の連中みたいに気が付く方じゃないし」
「他の連中?」
「ほら、桜葉とか風野とか穂波とか……葵先輩、とか」
「葵先輩は気が付くっていうより、ボケ倒すだと思うんだけど」
「いや、それはそうだが……そういうことじゃなくて……俺はこの通り鈍くて。だから」
「だから?」
「だから、お前とは釣り合いが取れてないって言うか……」
 そこまで言って、彼はしおしおと視線を落とした。これで『うん、そうだね。その通りだね』とでも言われたら自分はどうするのだろう。多分、普通に落ち込むだろう。そんな考えが頭をよぎる。

 どすん。

 いきなり、背中に衝撃が走った。この気配は分かる。少し前に、背中に彼女がぶつかったときのそれと似ている。
 ……今は、彼女が自分の背中に頭突きを喰らわせているのだと判断する。ぎゅ、とそのままコートを掴まれた。

「……秋山くんだから、いいのに」

 そのまま背中におでこを押しつけている深雪が呟く。
「秋山くんだから、私は一緒にいたい、って思ってるのに」
「……俺、だから?」
「そうだよ。他の誰かじゃない。秋山くんだから、だよ」
「何でだ。俺……」

 ごす。
 再び背中に衝撃が伝わる。

「秋山くんは、優しいよ」
「……え?」
「優しいし、ちゃんと気が付くよ。確かに少し鈍いとこもあるかもしれないけど、周りの人に思いやりのある、温かい人だよ」
背中から彼女の両手が彼の胸の下の辺りにに周った。
「あのときだって、ずっとそうだった」
 あのとき。身の毛もよだつような一夜。もう二度とご免だし思い出したくもないと思う。だが、あの夜の彼女の観察力と機転で生還できた。

「だから、私は秋山くんが、いいの。秋山くんが……」
「……俺が?」

 背中越しの声がぴたりと止まる。ぐりぐりと背中に預けられた頭が動いている。
「……だから」
「うん。……悪い支倉。俺バカだから、分かるように言ってくれるか」
 少し間を置いて、すう、と息を吸う気配が伝わる。

「だから……秋山くんが、好き、だよ」
 ぎゅう、と両手に力が入る。

「秋山くんが、秋山くんだから、好きなんだよ……それじゃダメなのかな」
「いや、ダメじゃない……と思う」
「じゃあどうして悩むの」
「どうしてだろうな。……さっき、お前とぶつかって、これが穂波だったらそもそも間を空けないように歩くだろうとか、風野だったらどうだろう、桜葉だったら、葵先輩だったらとかそんなことを考えたら……」
 不安になった。そう続けようとしたら、ごすどす。 二度ほど頭突きが入る。
「人と比べない。さっきも言ったよ。秋山くんが、好きなんだから」
「……ああ」
「他の誰でもないよ。わたしが好きなのは」
「……ああ」
「大丈夫、だから」
 安心して。

 そう言おうとしていたところへ、彼の前に回していた腕を解かれた。え、と呟く間もなく、ばふ、と頭を自分の胸に押しつけさせ、背中に腕が回り、彼に抱きすくめられてる形となった。
「え、なに、どうして」
 どうして、そうなるの。
「……ありがとう」
 頭上から声が降る。
「ううん。私は何もしてないよ」
「いや、お前がそうやって言ってくれる。迷ってても大丈夫だと教えてくれる」
 ぎゅ、と先ほどとは逆に彼女が抱きしめられる。
「好きだ。そんなお前が」
「……うん。私も好きだよ」

「ねー、お二人さんは学校の帰りに通学路で何やってるの! もう信号一周しちゃってるよ」
 原付バイクのクラクションの音と共に、聞き慣れた声が耳に突き刺さり、ぱ、と二人が離れた。
「ほ、穂波! 何で」
「何でって、見ての通り、帰るところだけど? て言うかルナこそ、もう随分前に学校出たと思ったら、そんなとこで二人でイチャイチャと。もう見せつけないでよねー」
「見せ! ……見せつけとかそんなこと」
「うん、ルナのことだからそんなつもりないんだろうけどさ。一応ここ、通学路だし、普通に往来だからさ。ほどほどにしときなよ。支倉さんも困っちゃうよ」
「あ、ああ。サンキュ」
「ん、じゃあお邪魔虫は消えるね。また明日―。支倉さんもまたねー」
 ぶおん、とアクセルを吹かし、颯爽と穂波が目の前から消えていった。

「……何だったんだ」
「確かに穂波くんの言う通りだもんね。……ちょっと、恥ずかしかったかな?」
 深雪がするりと秋山の手を取った。
「行こう。こうすれば、離れないよね」
 手を繋げば、歩く速度が違っていても、お互いのペースが分かるから、合わせることが出来る。
「そうだな。何だ、そうすればよかったのか」
「うん、そうだよね。これからはそうしよう」
 互いに微笑む。繋いだ手から温もりが伝わる。
「よし、行こうか」
「うん」
 一周した信号がもう一周して赤になっていた。車道の進号が黄色から赤になっていたので、もう間もなくこちらが青になるだろう。
「あ、信号青になった」

 深雪のその声で二人で足を進めようとした瞬間、不意に、彼女の唇に彼の唇が重なった。それは感触すら残らないほんの一瞬。

「え。秋山くん?」
「ほら、行こう」
 ぐい、と手を引かれる。そのまま横断歩道を渡り終え歩く。
「ねえ、秋山くん今の」
「いや、忘れてくれ」
「忘れないよ。だって」
「……笑ったお前が可愛くて、つい。すまん。だから忘れてくれ」
「忘れません」
「忘れてくれ、頼むから」
「んー……じゃあ、もう一回ちゃんとしてくれたら忘れることにするね」
 にっこりと笑う。恐らく向かうところ敵なしの支倉スマイルというのはこれだろう。いつだったか桜葉が聞かせてくれたフレーズを思い出した。
「……今度、するから」
「今度っていつですか」
「いつって、いつかだ」
「うん。五日後ね。分かった」
「違う、いつか、だ」
「いつかっていつですか」
 にっこり。笑顔と共に深雪が切りこみ、とうとう秋山が折れる。

「ここじゃ……ダメだ」
「うん」
「だから、な」
「うん。じゃあそれまで覚えてるね」
「……分かった。覚えてて、いい」
 そう言って、真っ赤になってる秋山を見て、ふふ、と笑みが零れる。
「今ね。ちょっと穂波くんの気持ち分かった」
「……勘弁してくれ」

 いつもよりゆっくりと、家へ向かう。
 二人の繋がった影を眺めながら。
 こんな時間がずっと続くといいと、そう思いながら。

ルナみゆはバス通だったよなあ、と思いながらバス停2つ3つ分くらい歩くのは平気だよなきっと(ルナなら)と思って書いた次第です。ラヴコレ会場でお世話になってるクラキミすきーな皆様向けにコピーしてこそっとお渡ししました。