20090302:case2

 踏み出してしまえば、多分、きっと、それは凄く簡単なこと。

 想いが伝わった、その割とすぐ、後。空が夕刻から夜へと鮮やかなグラデーションを作る頃。

 ふたりで海岸を歩いてた。歩くたびに経つさくさくとした砂の音が妙に気になる。いつも歩いてる場所なのに。いつも、当たり前のように聞いてる音なのに。
 彼の歩き方はわたしよりもちょっとだけ早くて、並んだ状態をキープしようとつい早歩きになる。そのことに気付いたころ、耳慣れないメロディーが彼のポケットから響いた。ごめん、ちょっと待って、と彼がポケットから携帯を出して応じるのを隣で見てた。
「……うん、ごめん。ちょっと行けなくなった。だからそっちはそっちで適当にやって。ああ、僕のことは気にしなくていいから。うん。合流も出来そうにないし。じゃ、よろしく。…ええ? 何? 見てたの? 誰が? まあ、それは今度ゆっくり。じゃ、切るから」
 聞くつもりは無くても聞こえてくる会話から、友だちとかなんだろうな、と分かる。恐らく、卒業式の後にどこか出かける予定を入れてたんじゃないだろうか。ぱちんと音を立てて閉じた携帯をブレザーのポケットへ突っ込んで、彼がこっちに向き直った。
「ごめん、待たせた」
「ううん、大丈夫だけど…約束とか、してたんじゃないの?」
「うん。してた。けど、今日ははっきり言ってそれどころじゃない。こっちの方がずっと大事。ああ、あいつらはいいんだ。またどうせ、春休みにも顔は見るだろうし。で。…多分、その時に、今日のことも聞かれると思うけど」
「? あ、さっき」
 聞こえた会話のことを思い出した。何かを見たとか言ってたような。
「うん。『さっき教会からはね学の子と出てきたって?』ってさ。誰かが見てたみたいだ」
「そ、そうなんだ」
「まあ、ほら、さっき話したけど、うちの教会、卒業式の日は曰く付きだし。誰かしらかいてもおかしくないんだよね……って」
 先刻とは違うメロディーが鳴り出した。
「度々ごめん、今度はメールだ。すぐ終わるから待ってて……あー」
 ? あー? 何かあったのかな?
「友達。この間のチケットの件の。『誤解が解けたようで何より。よかったね』だって」
「あ、あの子だよね」
 わたしが何だろうって顔をしてるのを察して説明してくれたのを生返事で返してしまった。

 ……この間の、友達。

 赤城くんを『ユキ』って呼んでた、女の子。
 はば学のセーラー服の似合ってる、元気そうな子だった。彼女の顔を思い出して、少し胸の奥がちくりと痛くなった。今だったら、これはどういう感情か分かる。
 わたし、嫉妬してるんだ。
 もちろん、彼が嘘をついてないって思ってるし、彼は今、ここにこうして、わたしの隣にいる。それは分かってる。けど、どうしても。
 わたしは彼女よりも遠い場所にいるんだろうなあって思っちゃう。
 それは考えても仕方のないことだけど。

 でも、気付いてしまった。
 はば学に頑張って入ってたらこんなこと、悩まずに済んだのかなあ。

「そうそう、この間の後もしっかりしろって散々叱られて……どうかした?」
「ん? ごめん、大丈夫。どうもしないよ」
 頑張って取り繕う。うん。だって、それは、考えても仕方がないことだし。
「そう? でも、『どうもしない』って顔じゃないだろ、それ」
「ホントにどうもしないよ。大丈夫」
「でも、どこから見たって、それって」

 また、喧嘩になっちゃう? あーもう、何でこうなっちゃうのかなあ。どうやって言えば心配させないですむのかなあ。上手く言えなくてもどかしい。多分赤城くんも同じように思ってると思う。何とも言い難い微妙な間が流れてる。

「……あ、そうか。ごめん、もう一回だけ待って」
 そう言って、また携帯を取り出した。隣でぼんやりといろいろ連絡しなきゃならないんだなあ、大変なんだなあと考えていたら、わたしのポケットに入れてた携帯が聞きなれたメロディーを刻み出した。あれ、メールだ。
「ごめん、わたしもメールみたい……ってこれ」
 携帯を開いて、届いたメールを見た途端、ちょっと驚いてしまった。というか呆れてしまった。だってそれは。

 『From:赤城一雪
  Sub:「初めてのメールです」
     お互いどうやら言葉に詰まってしまったようなので、メールにします。
     えーと、これまでいろいろあったように、多分これからもいろいろあると思う。
     けど、これからはずっと一緒だから。心配とか、しなくていい。
     僕が伝えたいのは以上です。』

「なに、これ」
 思わず口に出してしまった。いや、電話番号とメールアドレスはさっき教えあったからメールがくるのは全然おかしくないんだけど、でも、今隣にいるのに、メールで言うの?
「……何って。メール」
「おかしいよ、それってヘンだよ。ヘンじゃない? 目の前にいるのに」
「言っただろ、僕は多分変なんだ。でも慣れてもらうしかないって」
 それ、わざわざ胸張ってまで言うことじゃないよ。
「うん、ヘンだよ、赤城くん。絶対ヘン」
「言い切ったな? 絶対とまで言い切ったな?」

 どちらともなく笑い出して、気がついたら二人とも大声で笑ってた。
 確かに、ついさっきまでは別々にいた二人。それは変わらない事実。過去は変わらないし、変えることなんてできない。でも、これからは一緒。
 それで、いいよね。
 振り返れば寂しいときもあると思うけど。
 寂しいって、言えばいい。

 言えないのなら、それ以外の方法で伝えればいい。
 手段は、ある。

 『From:          
  Sub:                 』

 携帯を開いて、レスを返すことにしよう。
 それから、二人でたくさん話をしよう。
 ことばでも、もじでも。

 さて、最初はどうしよう?
 やっぱり、はじめまして、かな。