after words[01:Leishen]

 ゆるりと目が覚めた、その瞬間。
 認知したのは、彼女の手の温もりと、今にも泣き出しそうな表情。
 そのふたつは、まだ自分は生きていたのだと認識するには十分なくらいだった。

「――おはようございます、レイシェンさん」

 その後、ぼろぼろと泣き続けながらどうにか言葉を繋ぐ藍澄と、意識が戻ったと彼女がコールしたあとに部屋にやってきたクロイツァーから色々と説明を受けた。
 あの出撃の後、動かなくなった機体から回収された彼はケープムーン・コロニーの病院へクロイツァーごと(彼の事情故に、クロイツァーの同行は必須であろうと艦長である藍澄が判断した)搬送され、そのまま入院となったこと。一時期は本当に絶望的だと思われた容態だったが、どうにか持ち直し、その後驚異的な回復(それも彼の事情故かとクロイツァーは語った)を遂げ、意識の回復を待つだけだったということ。

 会談は無事に終わり、世の中が確実に和平に向かって動き出していること。

 その間、藍澄はほぼずっと傍らにあり続けたこと。

「本来なら、和平の使者となったエリュシオンの艦長ですから、色々表に出るように要請があったんですけどねえ、頑としてお断りになられて。おかげで雪乃は白髪が50本は増えたんじゃないでしょうかね」
「50本って、すごく具体的なんですけど……まさか数えられたとかそんなこと」
「当然。エリュシオンクルーの身体状態は全て把握してますよ。頭髪の状況まで」
 どうしようもない、かつての彼なら不要だと感じるような会話すら、まるでかつてあった家族のそれのようだと、ゆったりとした気持ちで聞くことができている。そんな自分を実感する。

「あ、そうだ。ここの病院。イーラさんが手配してくださったんです。信頼できるスタッフが揃っているからって」
 クロイツァーが退出し、二人きりになったその時に藍澄が切り出した。
「……そうか」
 かつては、聞くだけでも全身の血が煮え立ちそうに騒いだその名も、今では事実をそのまま受け止めることができる。できている。復讐のためだけに生き長らえる日々は終わったのだと、内なる己に語りかける。
 もう、大丈夫だろう。
 そう思ったそのすぐ後。

 部屋のドアがノックされた。

「失礼する」
 まさか、その話題の主が登場するとは思わなかった。
 傍らにいた藍澄はそんな心境を知ってか知らずか、にこやかに応対している。会談の様子であったりとかその後の双方政府の動きであったりと様々な話題が彼女たちの口に上るのをぼんやりと聞いていた。
 そんな中、不意に藍澄がお茶を淹れてくると席を立ってしまい、部屋に残ったのは当然ながらその部屋にいるべき彼、レイシェンと訪ねてきたイーラの二人という恐らくエリュシオンに乗っていたときにはあり得ないであろう事態が生じた。

 ほんの一瞬、レイシェンの脳裏にチリリと苦々しい感情が思い浮かぶ。
 彼女、イーラはほんの数日前まで、敵味方であり、復讐の対象だ、殺してやると宣言した相手だ。

 だが、復讐のために生きることを辞めようと誓った。
 静かに息を吸って、吐き出す。
 それだけで、先ほどの感情がゆっくりと心の奥底へ沈んでいくように思える。

 そうだ、それでいい。

「しばらく任務でケープムーンを離れることになったので、連絡方々様子を見に来たのだが、意識が戻ったと聞いて安堵した。ゆっくり静養するといい」
「……世話に、なった。礼を言う」
 体を起こし、礼を述べる。
 それだけの、ごく当たり前のことをしただけだったのだが、目の前にいたイーラがきょとん、とした表情で彼を見ていた。フェアメッセンジャーからの通信画像からは窺うことのできないその表情に逆にレイシェンが面食らってしまう。
「ああ、すまん。まさか、お前から礼を言われるとは思ってもいなかったのでな」

 少し、沈黙が流れ。
「……もう、私を殺しには来ないのか?」
 そう、彼女が言った。確かに、殺してやる、と言い放った、
「ああ。殺さない。そうしないと決めた」
 そう、彼が答えた。その後、そうはしない、と自身と何より大事に思う人に誓った。

「そうか。お前にはそうする権利があると言ったのだが、あの時は正直もう少し後にしてくれ、とは思っていた。……だが、今なら、もう構わんぞと言ってやろうかと思っていた」
「……和平が成ったからか」
「そうだな。ディックハウト様とマッキンリーの会談も無事終わった。交渉事もスムーズにとは言い難いが少しずつ進んでいる。今なら、私が消えても差し障りはないだろう……そう考えたりもした。だが、殺されないのなら。この身は我らの為すべきことのために使わせてもらうとしよう」
 自身の命があることを確認するかの如く胸元に手を置いて、彼女がかすかに微笑んだ。

「聞いてもいいか」
 一呼吸おいて、彼が尋ねる。
「答えられることなら」
「何故、俺を助けた?」
「助けてなどいない。実際に救援活動に当たったのはエリュシオンのSGパイロットだろう?」
「では、ここを手配したのは何故だ?」
「さあ、何故だろうな。エリュシオンに対する礼、お前に対する罪滅ぼし。もしくは――」
「もしくは?」
 彼女が言いかけた言葉を相槌を打つように彼が継ぐ。更に彼女が続けた。
「お前が死んでしまうと、私の罪を記憶してくれる人間が減ってしまう。と言ったところか。……生きている限り、忘れてはいけないだろうと思っている。だから」
 覚えていてはくれないか。その後続くであろう言葉をイーラは呑み込んだ。
 それは自分のエゴに他ならない。

 自身が、忘れなければいいことだから。

 彼女自身が犯したミスにより、眼前で斃れ、そして絶命した人たち。
 泣き叫びながら駆け寄った少年。
 幾度となくフラッシュバックするあの光景。忘れたほうがいいのかもしれない。それも戦争なのだと。だが、忘れてはいけないと思う。

「お前には、生きていて欲しいと願っているのだ」
 自身が、かつての過ちを忘れないために。
 ……これも、本人からしてみれば、失礼な話だろうな。彼女は心の中でそう思う。

 そう告げると、アラーム音が部屋に響いた。彼女の携帯端末であろう。取り出し、その音を止めた。
「ああ、時間だな。そろそろ失礼する。そちらの艦長によろしく伝えてくれ。すまんが、茶は二人で飲んでくれと。あと、ケープムーンで評判の菓子屋の菓子を買ってきた。見舞いだ。お大事に」
 立ち上がり、退出しようとしたとき、藍澄が戻ってきた。先ほどレイシェンに告げたことと同じ内容を彼女に告げ、では、またな、と右手を軽く振って部屋を後にしていった。

「お話、できましたか?」
 再び二人きりになった部屋でいきなり尋ねられた。
「……何故、それを聞く?」
「お二人には、そうしてほしいと思ったから、です。これからの世界で、争いごとは必要ないから。……そうですよね?」
 必要ない。彼女の欲しい世界。今の自分が求める世界。
 そのためには、確かに争いは必要がないものだ。

「そうだな。話は、できただろうと思う」
「そうですか。よかったです、うん」
 嬉しそうに彼女が頷いた。

 真っ暗な深い絶望の底から這い上がることができたのは、お前のその真っ直ぐに述べられた手がそこに在ったからだ。
 自分のすぐ傍らにいた彼女の手を取る。
 この手があったから。
 俺はここにいることができた。

 放さない。と誓いを立てるかの如く、手の甲にくちづけを落とす。

「れ、レイシェンさん?」

 慌てふためきだす藍澄に、ふ、と口の端で微笑みを返した。
 時間は動き出す。