そだつこは、ねむる(おそらく)。

 エリュシオンは只今補給と修繕のためとある場所に停泊中。

 この期間は艦内のシフトもゆるやかなものに変更になり、まあ気持ちも多少緩むのもある意味当然であろう、そんな頃。副艦長白波雪乃はとある誘いを受ける。

「飲み会、ですか?」
「飲み会、というか、艦内メンバーの親睦を図ろうというか。シフト合いそうな人たちで仕事明けにちょっとお話しながらひとときを過ごしましょうってお誘いを受けたんです。雪乃さんも、ご一緒にどうですか?」
 引き継ぎのためのチェックリストを確認していた雪乃に、にこにこと藍澄が誘いの声をかけた。
 ふむ、と考えようとした折にふとそれ以前に気になったことが頭をよぎり、それを出欠の返答の前に確認することにした。この点はあらかじめ釘を刺しておかなければ、と。

「艦長。親睦は結構ですが、お酒は」
「あ、もちろんです! わたしはまだ未成年ですから。ちゃんとそこは気をつけます。クロエも一緒に行ってくれるんで、二人で頑張ります。ね。」
 はい、とその言葉をクロエが引き継いだ。
「大丈夫ですよ副艦長。お酒飲めない人とか女子クルーのためにお菓子もたくさん用意していただけるって話です。わたしなんか、お菓子のために行くんですから! 艦長、頑張ってきましょうね!」
 互いに手を取り合って頷き合う二人に対して、そこは頑張るところではないでしょう、むしろ日頃の任務をしっかり頑張ってくださいと思わなくもない。
 だが、適度な息抜きと親睦は確かにあるべきであろうと思うし、オフタイムをどう使うかは個々の自由だ。増してそれが艦内の親睦に使われるなら反対するのも無意味だろう。
「了解しました。ですが、私はまだこちらの書類の確認が若干残っていますのでお二人で先に行っていてください。終わり次第お伺いします」
 実際に羽目を外しすぎてはいないか、未成年者の飲酒等がないか。
 自分が出席すればそれも確認出来、また羽目を外そうとする者への抑止力にもなり得るだろう。場を冷やすことにもなり兼ねないが適度なタイミングで退出すればいい。そう考えて彼は返答を返した。
 はい、また後で。とぱっと明るい表情を見せた藍澄とクロエがブリッジから退出していくのを見送った後、有能なる副艦長は処理の終わった書類と未処理の書類とを確認し、作業完了までの時間をざっと見積もり、作業に戻った。

「で。これは一体どういうことでしょうか」

 宴はたけなわ。
 明るく賑やかな空気が満ちている。

 だが、その片隅では、壁際の隅に体を預け、すうすうと寝息を立てて眠っている藍澄がいた。

 業務を終えて場に顔を出したばかりの雪乃には何が起こっているのかまったく理解できないでいた。自分の記憶が確かであったら、まだ会が始まって三十分も経過してないだろう。一体何が起こったというのか。何故艦長はこうも見事にお休みになっているのか。
 こめかみを押さえつつ彼は現状把握に努めることにした。

「あの、副艦長」
 恐る恐る、といった風にクロエが声をかけた。
「……クロエさん。説明していただけますか」
「すみません。わたしにもよく分からないんです。最初、一緒にここに座って乾杯して。食べておしゃべりして、って感じだったんですけど、ふと気付くと、もうお休みになられてて。何度かお部屋に戻りましょうって起こしたんですけど、もう全然だめで。正直、雪乃さんがいらっしゃるのを待ってました」
「それはどういう意味ですか?」
「きっと雪乃さんならどうにかしてくださると思って」
「どうにかって……クロイツァーさんにきていただければいいのではないですか?」
「それがですね、先生は今」
「……そうでした。用品購入などで先行して降りられたんでしたね」
 寄港中では怪我人も病人も当分出なさそうですね。街に降りるのもつまらないですが、さっさと仕事を終わらせてきますと飄々と申請を届けに来ていたのを思い出した。
 そうすると、この状況は医療的には解明されないということで。
 というか。これはどう見ても熟睡しているというような気がしている。とても。

「分かりました。私が起こして部屋へお戻りいただきましょう。クロエさんはどうぞそのまま」
「でも、雪乃さん」
「大丈夫ですよ。折角の場ですし。ゆっくり楽しんできてください」
「……分かりました。ちょっとみんなに説明もしたいので一旦あちらの方へ行ってますね。何かあったら呼んでください」

 さて。
「艦長。起きてください。艦長」
 クロエが複数回トライしたはずであろうが、一応正攻法である声かけから攻めてみる。
 すー。
 びくともしないであろうことは端から予測していたことなので驚かない。
 肩を叩く。ゆする。額に冷えたおしぼりなど乗せてみる。鼻をつまんでみる。耳元で囁いてみる。いろいろ思いつく限り試してみたが、状況は変わらない。

 仕方ないですね。
 起こして連れ帰るという線は捨てることにしましょう。

 失礼します、と一声掛け(本人は聞こえてはいないだろうがやはり礼儀としては欠かせないように思えたので)、椅子に座り眠りこけている藍澄の腕の下と膝の裏にそれぞれ手を回し、自分の胸元へ引き寄せ、抱え上げる。クロエに一声かけたいところではあるが、ざっと確認したところ、今の自分からかなり離れた場所にいるので、後で携帯端末に連絡を入れることにし、そっと退出した。

 人気のない夜の廊下ではこつこつと自分の足跡だけが聞こえ、腕の中で彼女は変わらずすうすうと寝息を立てている。

 ――疲れが溜まっていたのかもしれませんね。
 日頃の業務の状況を藍澄自身以上に知っている雪乃(何しろ彼女に回す決済類や様々な業務の作業量のコントロールをしているのは他ならぬ彼だ)はそう予測を立てた。素人判断ではあるが、まあ、概ね間違ってはいないだろう。ひとり納得しながら彼女の私室へ足を進めていた。折角のオフシフトなので、少しゆったり過ごしてもらおう、例えば、初戦闘から恒例になっていた課題のページ数を『少し』減らすとか、でしょうかね。そんなことを考えているうちに彼女の私室まで辿りついた。
「艦長。着きましたよ」
 目覚めないだろうと思ってはいるが改めて声を掛ける。
 すー。
 やはり、お目覚めにはなりませんね。
 では。
 ドアを開けようとして、彼はあることに気がついた。

 解錠のために必要なIDカードをどう取り出せばいいのか。

 恐らくは服のポケットであろうと思うのだが、如何せん彼の両手は彼女を支えるのに塞がっている。その状態ではポケットの中に手を入れるのには正直困難だ。また、女性である藍澄の衣服のポケットを探るという行為は……彼からしてみれば出来得ることなら謹んで辞退申し上げたいことこの上なく。そして彼女は目覚めない。

 どうするか。

 一瞬考えを巡らせたが、彼女を抱えたまま踵を返した。
 致し方ありません。

「おはようございます、艦長。昨夜はよくお休みでいらっしゃいましたね」
「……? はい。おはよーございます、ゆきのさ……雪乃さん!?」

 目が覚め、未だ意識がぼんやりしていた藍澄を雪乃の声が猛スピードで覚醒させる。
ゆきのさん? どうして部屋に雪乃さんが? 辺りを見回す。自分の部屋のそれではない天井、壁紙。そして、ベッドの隣に置かれた椅子には雪乃が座っていて。

 この部屋には、見覚えが、ある。
 課題を受け取ったり提出したり採点されたり怒られたり。そんな記憶はこの部屋と共にある。――雪乃さんの、部屋だ。一瞬にしてざっと血の気が引く。何で、どうして。何が、どうなったら。わたしが雪乃さんの部屋でぐうぐうと寝ることになるのか。分からない。全くもって分からない。
 分からないまま、眠りにつく以前の記憶を指を折りながら一つずつ思い返す。クロエに飲み会に誘われた。雪乃さんに声を掛けて行くことにした。とりあえず乾杯から始まって。最初に食べたのはブラウニーだった。美味しかった。次に食べたのはジンジャークッキーだった。ええと、それから……それからどうしたんだっけ?

「お目覚めになられたのでしたら、お部屋に戻られて身支度を済ませるといいでしょう。シフトの交代のお時間までさほどありませんから。もう朝食も食べられると思います」
 うーんうーんと考え込んでいる藍澄に対し、雪乃は冷静に話す。
「あの、雪乃さん」
 確認しておかねばならないだろう。藍澄はそう思い、雪乃に声を掛ける。
「はい、何でしょう。艦長」
 ブリッジでのいつも通りのやりとりと同じように彼が返答を返す。
「わたし、どうしてここで……雪乃さんのお部屋で寝ていたんでしょうか」
「どうしてでしょうね。ご自分で思い当たる節はございませんか?」
「……全くもってありません。あの。わたし、何かやらかした、んでしょうか」
 何か。思い当たる節はない。
 今分かっていることは、自分で自分の部屋に帰れなかった状態であろうこと。恐らくそのまま一晩雪乃の部屋で彼のベッドで眠ったこと。とりあえず衣服を確認する。着衣はそのままのようだ。
「そうですね。よくお休みになられてましたよ、ってぐらいでしょうか」
「寝て、ましたか」
「ええ。それはもうぐっすりと。お部屋にお戻り頂こうと思ったのですが、カードがないと部屋は開けられないですから、仕方なく一旦こちらへ」
 こちら。雪乃の部屋の雪乃のベッド。
「……それは。大変大変失礼を……」
「まあ、ベッドは艦長にお貸しして私はソファで、と思っていたのです。が」
「が」
 思わず復唱してしまう。既に十分過ぎるほど失礼を働いていると思うのだが、この上まだやらかしているのか。ざあっと彼女の背によくない予感が走る。
「ベッドに下ろしてすぐに艦長が、わたしの服を掴んで離して下さらず」
「わたしが、雪乃さんの、服を」
「ええ、身動きが取れなくなりまして。そのまま、そこの椅子で休みました。今にして思えば、上着ですから脱いでしまえばよかったんですが」
「身動きが取れなく」
 復唱がそこで止まる。

 なんて、ことを。
 事態を把握したと思った瞬間、引ききった血の気が一気に頭の天辺まで上り詰める。

「すすすすすすすすすすみませんすみませんすみません申し訳ありません!! あああのそのあのその非常に非常に飛んだ失礼を!!」
 謝った。思いっきり幾度も頭を下げた。謝って済むことではないとは思ったが謝らずにはいられない。
「艦長、落ち着いてください。別に私なら何ともありませんから」
「何ともとかそういう問題じゃないです、とにかくとんでもないことなんですからきちんと詫びなきゃならないんです、すみませんごめんなさい申し訳ありません」
「艦長……藍澄、さん。大丈夫ですから。落ち着いてください」
 とんとん。彼女の両肩に彼の手が置かれ、数回上下する。
 ただそれだけの何気ない動作なのに、何故だか少しずつ気持ちが落ち着く気がするのは何故だろうか。それもまた、分からない。
「……でも、雪乃さん。わたし、色々とご迷惑を」
「起こってしまったこと、やってしまったことについてあれこれ言っても仕方ないでしょう。むしろ、その失敗をどうしたら繰り返さないのか、どうしたら挽回できるかを考えた方が建設的だと思います」
「……はい」
 雪乃の言葉は正論だ。そう言われてしまうと、藍澄にはもうそれ以上返すことができなくなる。
 だが、どうしたら挽回できるというのか。そこまで考えは至らず、そのまましょんぼりと項垂れてしまう。

「……そうですね。差し当たり、『一日も早く立派な艦長になる』とか、そんな辺りですか」
 そんな彼女の心情を察してか、諭すように雪乃が提案する。
「……それ、すっごく時間の掛かる取り返しだと思います。頑張ります、けど」
「そうですか? 心がけと経験値次第で幾らでも速度は早まると思いますが。分かりました。それでは私もささやかながらお手伝いをさせて頂きましょう。次の課題の出題範囲、30ページ程増やしましょう。頑張ってください」
「さんじゅっぺーじ!? 雪乃さん、それはいくらなんでも増えすぎでは」
「今しがた頑張りますと仰ったではありませんか。大丈夫です。一章分増えたくらいですから。大したことはありませんよ。明日テストしますから、休み時間や夜に頑張って読み込んでおいてください。ああ、大丈夫ですよ。出港にはまだ当分掛かる見込みですから。ゆっくり勉強できますね。期待しています」
「……鬼ですね」
「なんとでも」

 一晩前には課題を減らそうかとも思っていいましたね――まあ、折角の機会ですから少し頑張って頂きましょう。そんなことを思いながら、にっこりと彼は微笑んだ。

「さて。私はこれから身支度して朝食に行きますので、艦長もお部屋へお戻りください。またブリッジで」
「あ、はい。お世話になりました。また後で」

「かーんちょ! 昨日はごちそうさまでした!」
「ごちそうさまって何が? だって昨日は途中で」
「はい、途中で雪乃さんにお姫様だっこしてもらってお戻りでしたよね! 女子クルーみんなできゃーすっごーいって言ってたんですよー。やっぱりお姫様だっこって女の子の夢ですよね!」

 それからしばらく、藍澄と雪乃が二人しておんなのこの夢とやらではしゃぐ女子クルーの火消しに励んだのは言うまでもない。